コミュニケーションとしての麻雀
日々
天鳳で久しぶりに役満をアガッた。堂々たる四暗刻ツモである。1位を取った勢いで連戦、ラスに転落。収支マイナスではないか。ラスが大損をするシステムのうらめしさよ。
今回は、麻雀と交友関係について書こうと思う。麻雀を打つ、もしくは打てることによってどんなことが起きるのであろうか。
麻雀と交友関係
麻雀と友人
まず、麻雀が打てる方が圧倒的に交友関係が広がる・深まるということが言える。
麻雀とは、四人ないし三人で打つものである。数人が数時間を共に過ごすことになり、必然的に会話が生まれる。しかし、いくら友人と言えど、2~3時間も一緒に座っていれば会話のネタもつきてくるものだ。が、心配無用。話す内容ならばまさに目の前にあるではないか。カンドラがもろ乗りしたことに騒いだり、リーチに安牌がないなどと嘆いたりすれば、場の楽しさを全員で共有できる。
また、麻雀には前述したとおり、面子をそろえる必要がある。四麻を打ちたいのに三人しかいないことなど何度あったか。そんな時、友達が別の友達を呼んでくれることがある。麻雀を打つのに、知らない人だからとそんなに気張ることもない。話す内容が無い?目の前にあるではないか。赤の他人も半荘打てば麻雀仲間、次のセットに向こうから呼んでくれる時さえある。
つまり、麻雀とは3~4人という程良い人数で、会話のネタが用意された、区切りがはっきりしている優れたボードゲームなのである。
雀荘での交流
上記のことは、雀荘でも言える。フリーで打ちに行けば、馴染みのメンバー以外は皆初対面である。そこにはいろんな年齢、職業の人がいる。出会った例を挙げてみると、同じ大学生、フリーター、隠居したおじいさん、大学講師、劇団員、若いサラリーマン、バーのマスタ―など、他にも様々な人たちがいた。
特に面白かったのが若いサラリーマンと打った時である。半年ほど前、友人と打ちに行った際、卓を囲んだのが自分たちとメンバー、残る一人が彼であった。彼は「パチンコでかなりスッたから、これで取り返すねん」と言って笑っていた。負けるフラグのようなセリフを述べた彼だったが、存外調子がよく、チップをかき集めていく。自分たちもも抵抗したのだが一歩及ばず、そこまでひどくはないが負けてしまった。(メンバーさんはもっと悲惨であった。)
さて頃合いとラス半コールを掛ける。近くのコンビニで友人とあの場面ではあーだこーだと討論していると、さっきの彼と出くわした。そこで彼から意外な提案「飲みに行かないか」と誘われた。面白そうだと彼の行きつけの居酒屋に付いていくことに。そこでお互いの身の上話や仕事(学業)の愚痴などを話し合った。その後なんと彼は飲みの代金を二人分支払ってくれたのである。なんとも粋な金の使い方、もう少し年齢を重ねて、大勝した日にはぜひ同じことをしてみたい。
このように、雀荘で卓を囲んだ人と思わぬ体験をすることもある。
現在の麻雀の地位
などと麻雀を打てることによる交友関係への素晴らしい寄与について書いたが、麻雀人口は残念ながら減ってきている。昭和時代には戦後麻雀ブームが数度到来しており、大学生の趣味も麻雀やスキーが主流であった。しかしその人気は今や鳴りを潜め、麻雀のルールを知らない人が7割を超えるという悲しい統計まで出ている。
知らない派の意見を見るに、麻雀のイメージが悪いのがルールを覚えようとしない理由の一つであるようだ。
これからの麻雀
現在では禁煙雀荘やノーレート雀荘の件数も増え、麻雀のいわゆる「ダーティー」なイメージを払拭し、「クリーン」なゲームにしようという動きが盛んである。また「日本プロ麻雀連盟」などプロ団体も組織され、種々のルールが統一されたゲームとして世に広めようという運動もある。
自分は単純に麻雀を打つことが好きである。個人的には、頭脳戦として「e-sports」レベルで世に認知されてほしい。
「麻雀はルールが複雑だから......」「なんとなくイメージ悪いし......」などと思っている方はは一度、ゲームなどで麻雀に触れてみるのはどうだろうか。麻雀を打つことにより得るメリットはいくつもある。一つが先に述べたように交友関係が広まる・深まるということである。
麻雀とは、コミュニケーションツールでもあるのだ。
(参考 http://www.f.waseda.jp/yujiyamagu/database/history/history.htm)