盲牌について【意味とその是非】
盲牌
「盲牌ができます」
......そんな人は最近あまり見かけない。もちろん自分も盲牌は全くできない。知り合いでもできる人はほんの一握りだし、共通していることは「親と麻雀を打っていた」ことである。すなわち、盲牌をする文化がある所で麻雀を覚え、かつ小さいときからの経験があるというなかなか狭い条件を満たしている人が「盲牌」できる人として自分の周りに存在しているのだ。
そもそも盲牌とは、牌を視認せずとも親指の感触だけでその牌の種類を判別するものである。視覚に異常のない人であれば、単に牌を見るだけでよい、わざわざ目で見ずに牌の種類に悩むなど何の必要があろうか?
盲牌のメリット
打牌が速くなる
盲牌の熟練者であれば、ツモってきた牌を視認する必要がない。故に、手牌に持ってくる間に打牌選択ができるし、ツモ切りなら一秒とかからない。わずかに数秒の差ではあるが、相手の考える時間を奪うという意味では有意である。
牌が相手から見えない
おおざっぱに牌を扱っていると、ふと相手に牌を見られてしまったりする。しかし盲牌をする人であれば牌の表面は親指で覆われており、うっかり相手に見せてしまうことが無い。
盲牌のデメリット
大体の人は盲牌が遅い
雀荘などでおじいちゃんが牌を「グリグリ~」と2~3秒盲牌しているのを見たことがあるだろう。あまりに盲牌が遅い場合、視認するときよりもむしろテンポは遅くなる。プロの対局を見ていても、Mプロのようにズ~っと盲牌をしてツモ牌がカメラに映らずにいらいらすることがよくある。
牌の種類を間違える
白などはさすがに自分でもわかるが、五萬や發などは難しく、視認するまで思っていた牌と違う牌だったらまた考え直しとなる。そのままツモ切ってから気づいた場合はなお痛い。雀聖と呼ばれた阿佐田哲也氏も、一索と七筒を盲牌し間違え、放銃に至った経験があるという。(ソースは不明であり、逸話)
待ち牌ばれ
「打姫オバカミーコ」(片山まさゆき、竹書房)でも言及されていたが、半端な盲牌は隙になってしまう。この作品内においては2巻第16話「GURI2」にて、主人公ミーコが聴牌後の盲牌に時間をかけているのを見た敵が待ち色を見破るシーンが描かれている。
現実でも、3‐6筒待ちで4筒を持ってきて一瞬ビクッとなる人がいるだろう。同様のことが半端な盲牌では起きてしまう。では関係ない色で盲牌をじっくりすれば?それは手ジャミだ、引っ掛かる方にも非はあるがマナー違反である。
盲牌の是非
良い点悪い点両方併せ持つ盲牌であるが、マナーとしてはどうなのだろうか?
先に述べたように何秒間もグリグリと盲牌をするのは遅延行為であり、明らかなマナー違反だ。「すばやく牌の種類を判別する」ことも盲牌のメリットの一つなのに、時間がかかっては何のことやらわからない。
また、これはあくまで個人的な感想だが、あまりに強く牌をつまんでいる様子は何となく不快だ。別に牌にひびが入る訳でも無くプレーに支障はないのだが、そうでなくても手垢の付く牌を強く、広範囲に触るのは......。
「人の顔をなでる」が如く失礼な行為とされているが、盲牌が失礼かどうかはともかく、「2秒以内の打牌」を目指す雀鬼流としては遅延の原因となる盲牌の禁止は非常に理にかなっている。
しかしながら、さらっと牌をつまんで一瞬で牌を認識できるのはやはりかっこいいと言わざるを得ない。めったにお目にはかからないのだが、ほぼ間違えることもグリグリと牌を強くえぐることもなく盲牌する人もいる。
逆に言ってしまえば、フリーなどで打つ時にはかなり上手くないと周りに迷惑となる。盲牌をできるようになることを目指すのは決して悪いことではないのだが、本来(現在)不要な技術であるため、公の場で晒すにはそれなりの技術が必要とされるのだ。
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*1:同じく2巻第16話「GURI2」より