麻雀漫画「MJM」
残暑
9月の初旬ではあるが、相も変わらず日差しは厳しい。海に泳ぎに行ったのだが、背中が真っ赤に焼け、冷水シャワーでも痛みを感じる。
今週のお題「夏を振り返る」の通り己の生活を顧みるも、特に生産的なことをできたわけでもない。ただ、麻雀を通して友人との仲を深めただけでも上々出来である。以前読んだ本「砂漠」のような生活だ。
さて、先日片山まさゆきさんの「スーパーヅガン」を読み直していた。麻雀好きならほぼ誰でも知っているであろう有名漫画で、主人公の豊臣がひたすら不運により負け続けるというギャグテイストのものである。
他にも面白い麻雀漫画は無いだろうかと色々ネットを調べていると、「MJM」という張慶二郎さんの描いた漫画を発見した。
MJM
まずこの「MJM」を読んだ感想であるが、非常に面白かった。「MJM」は、学生や雀ゴロ、クラブのママなどが主人公のオムニバス形式の漫画であり、時代背景も昭和や現代、未来と多岐にわたる。
絵についてだが、少々人を選びそうな劇画調のタッチである。自分はこういう絵柄が好きなので全く気にならなかったが、「綺麗」な絵でないと嫌という人にはお勧めしない。
肝心の内容であるが、ギャグ調の話とシリアスな話の両方が存在する。例えば、幼いころに誤って麻雀牌の「中」を飲み込んでしまった男のアガり牌が「中」ばかりになってしまう話や、家族の元から逃げた男が、転がり込んだ雀荘で失踪した父親に出会う話など、なかなか振れ幅は大きい。
束
特に好きな話が、「束」シリーズの第二話「溶ける」である。束(ずく)とは、
高レート麻雀の際、支払いの時にかさ張らない様に、ゴムやホッチキスでまとめた一万円札の束のこと。(「束―ズク―」より)
とある。卓上にばさばさと置かれる「アレ」である。「束」シリーズでは、一貫して絶滅危惧種の雀ゴロ尾神が登場する。ほかの漫画の登場人物を出して申し訳ないが、「傀」のような男と思えば早い。
三部作中の「束」で尾神はそれぞれ別の相手と対戦するが、第二話では同じく雀ゴロの「アオ勝」と卓を囲む。
「アオ勝」の名の由来は、自分からは決して卓を割らず、何十時間も何日もかけてゆっくりと獲物を飲み込んでいくところから「青大将の勝」、それが縮まりそう呼ばれるようになったのだ。
尾神とは数年前に一度戦ったことがあり、その際には丸四日打ちぬいた結果、尾神が勝利した。
「アオ勝」もかつては2日も3日も卓に着いていたのだが、今では飼っている鳥の世話をすると言っては数半荘囲んで帰り、じわじわと昔の勝ち分を減らすような生活をしていた。まだ大丈夫、まだ戦えると自分に言い聞かせるも、公園で楽し気にフリスビーで遊ぶ老人と孫を見て、「自分にも違う生き方があったのでは?」とこれまでの人生について考えだす。40年間麻雀一筋で生きてきた男である。
飛んできたフリスビーを渡すと、子供は笑顔で受け取った。
しかし、たまたま通りかかった尾神が同様に、暴投のフリスビーを手渡そうとすると、子供は怯え、泣き出す。
それを見て、「アオ勝」の中である決意が浮かんだ。尾神との再戦、ひいてはこれまでの人生の証明である。寄る年波には逆らえずに「卓を割る言い訳」として飼っていた鳥を逃がし、全財産が溶けるまでの勝負を挑む。
しかし勝負勘は冴えず、わずかな差異の選択が裏目に出る。
終いってことだ
ニコニコと子供にすり寄られるようになっては......
そうして、「アオ勝」は敗北した。雀ゴロとしての覚悟や気迫の薄まりを、子供の反応で気づいていたのである。公園で「アオ勝」が呆然としていると、逃がしたはずの鳥が飛んできて肩にとまった。「卓を割る言い訳」つまりは「勝負と真反対の存在」の帰還により、その後の「アオ勝」の勝負師でない平穏な生活が暗示される。
劇画調の絵により、以上のストーリーが迫力を持って展開される。雀士としての男の生きざまには胸を打つものがある。
ちなみに、子供のフリスビーに書いてある文字列「Uitell.com」が気になったので検索にかけてみたところ、どうやら同じく漫画家の土田世紀さんや尾上龍太郎らと発足したオンラインコンテンツ「空中商店街ウイテル」のURLのようだ。残念ながら今は閉鎖中、中身が何だったのかは不明である。(http://www.uitell.com/)
他にも、張慶二郎さんは「ミスターブラフマン」などの麻雀漫画を描いている。現在両漫画はLINE漫画にて1巻無料キャンペーン中なので、お試しに一度読んでみることをお勧めする。